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... 慶長19年(1614)徳川家康が対馬島主宗義智に命じて、 「竹島は日本の領土である」 として朝鮮国政府と交渉させました が、合意出来ませんでした。 元禄 6年(1693) 米子 の領民と朝鮮国の漁夫が竹島で闘争を起こ したことから ...
... ただし、実際は対馬の大名・宗義智が改竄したものだといいます。宗家は両国をとりもつため、幕府の体面をたてるながら、朝鮮王朝に独自の朝貢をして対話の道を残すなど、命がけで仲介役を果たすのを常としていました。 ...
... その命を受けたのが、 小西行長 と 宗義智 (そうよしとも) 。 宗義智は、当時、朝鮮半島と盛んに交易を行っていた対馬の 厳原 (いずはら) 城主で、小西行長の娘婿でした。 大陸への出兵にも納得がいかない上 ...
... 大坂城・落城~脱出した秀頼の娘は ★千利休 ● 千利休・切腹の謎~利休の握っていた秘密とは? そ ★宗義智 ● 文禄の役・釜山上陸 ★蘇我赤兄 ● 悲劇の皇子・有間皇子死刑 ★蘇我石川麻呂 ● 数奇な運命をたどっ ...
... 宗氏、幕府の命により朝鮮との国交回復に尽力 徳川幕府から朝鮮との国交を回復するように命じられた宗義智は、宗氏ならではのルートであの手この手で朝鮮側に打診し、1609年に日朝間の国交を回復する慶長条約(己酉約条とも呼ばれ ...